先日こんなツイートを見掛けました。
「知らない言葉があった時に辞書やスマホで調べるのはオタク的行動」と言われたことがあります。そんな一々調べる人多くないんだって。大抵知らないことはそのまま読み飛ばすんだって。
— ちらいむ (@chilime) 2019年1月15日
…そ、そうなの…?
そうですよ。調べるのなんてオタクだけです。
まず一番始めに「声という伝達手段は、ミスが頻発する」というのがあります。口が上手く回らない、発言ミス、聞き間違い、聞き逃しなどが当たり前にあります。
さて、ある会話で聞き逃しが発生したとき、ある人はこう考えました。「声ってクソだわ。正確に意思疎通するには文字を使うべきだ」―はい。将来オタクに育つ人です。
一方でこう考えた人もいました。「声だけだと聞き逃すこともあるけど、相手の雰囲気も合わせれば実用レベルで意思疎通できるしまぁいいか」―はい。将来一般人に育つ人です。
オタクの本質は「失敗を極端に気にして確実な成功を目指す人」で一般人の本質は「実用性重視で一つ一つはそれほど気にしない人」というワケです。一般人は「根本的な原因を取り除いて完璧に解決する」みたいなことを目指さないんですね。オタクは逆に徹底しすぎて「じゃあ友達なんていらねぇよ」みたいな結論に至って人生詰むんですけど。
文字は記録に残るので言葉尻まで追求可能です。そして相手が目の前にいないので雰囲気を読み取れず、文字から全てを読み取る必要があります。このため文字に頼っているオタクは言葉通りに解釈する能力が発達します。一方で「雰囲気で補完する能力」は発達しません。使わないので。
逆に雰囲気は記録に残らず、また言葉ほど意味が明確でなく、あいまいです。しかし声と合わせることで短時間で相手に大雑把な感情を伝えられます。正確性を求めなければ、雰囲気はとても便利な道具です。
一般人は雰囲気で補完しながら会話します。文字なんて使いません。文字って会話できない障害者のための面倒な道具ですから。私たちも盲導犬や松葉杖なんて必要なければ使いませんよね。面倒ですから。なので一般人は文字を扱う能力が発達しません。
「自分ができることを簡単なことだと勘違いする」という人類共通の欠陥があります。自分ができることは相手も当然できる。しかも考えるまでもなく無意識レベルでやらかすので、勘違いに気付けません。
オタクは一般人も自分と同じように言葉尻まで追求してくるものと思っています。それで文字と同じように言葉尻まで丁寧に発言しようとして、けど会話能力が発達していないので上手く発言できず、失敗します。一般人はそんな重箱の隅まで気にしやしない、というかできないのに。
一般人も一般人で、オタクも自分と同じように雰囲気で補完して理解してくれると思っており、雑で高速な会話を期待します。一般人同士なら何の問題もなく成立しますから。オタクがそんな高等コミュニケーションできるわけないんですけど。
会話が一般人の、文字がオタクの独壇場になるのは当然ですね。
オタクにとって、質問は悪です。
- 文字でやりとりするので、物理的に他の文字を押し出してしまう(他の投稿が流れる)
- オタクは完璧主義者なので、返答を作るのに多大な労力を要する
- その割に相手の喜んでいる姿が見えないので感謝を実感できない
それでGoogleが登場した際に大喜びで丸投げしました。このとき生まれた言葉が「ググれカス」です。そして質問されることを嫌っているので、相手も嫌っているだろうと考え「質問する前に調べろ」という考え方をします。
また声での質問よりググる方を簡単に感じるため「調べる方が簡単だろ。なぜ調べないんだ」などと考えてしまいます。そりゃコミュ障でググることに慣れている人はそうですけどさぁ。そもそも文字入力さえも苦行なんですよ彼ら。
一方で一般人にとって質問は「適当に答えるだけで相手に感謝されて気持ちよくなれるもの」です。対面なので感謝を実感できるんですね。そして声なので表示スペースを気にする必要もありません。なのでむしろ「どんどん質問してもらいたい」くらいのものです。
そして一般人はググる能力が高くない(AND検索やマイナス検索は高等技術です)ので、「なぜ質問しないんだ」となります。「質問すればすぐだろ。(自分だと)調べていたらどれだけ時間が掛かるかわからんじゃないか」と。
お互いにやっていることは同じなんですね。
ここまで来ると冒頭のツイートもよくわかりますね。オタクは「一つ一つの言葉を重視する」「ググる能力が高い」という性質があるので、そりゃそうなります。
そういうワケで「質問する前に調べろ」は絶対の正義というわけではありません。「なぜ調べればわかることを質問するのか」という考え方がオタクのそれです。もっと積極的に質問しましょう。一般人はあなたほど質問されることを嫌がりませんから。