一本道のエロゲはゲームか、なんて無駄な問い

エロゲは元々ランダムでもなければタイミングを問われることもない、ゲーム性の乏しいゲームではあります。それでも話の流れから最適な選択肢を選んでいく部分はゲーム性と言えばゲーム性なのでゲームと言い張ってきました。では選択肢の存在しない一本道のエロゲははたしてゲームなのか、…なんて考えても仕方ないですよねって話です。

私たちは幼い頃からRPGやカードゲーム、格闘ゲームなどをゲームとして触れてきました。それらには攻撃が当たるか、次に引くカードは何か、といったランダム性があったり、相手が攻撃してきた瞬間に防御コマンドを入力して防ぐような、タイミングを合わせた入力を求められたりしてきました。このため「ゲームとはそういうもの」と認識するようになりました。そしてランダムでもなければタイミングを問われることもないエロゲを「これはゲームなのか?」と感じるようになったワケですね。

これは~なのか、は大変難しい話です。モンブランはケーキですか。それはなぜですか。そういう話になってきます。スポンジにクリーム的なものが塗られていたらケーキか、でもシフォンケーキにはクリーム的なものは塗られていないし…頭が痛くなりそうですね。

そもそもどこかに「ゲームとはこういう特徴を持つものである」と定義されていて、それに全員で従っているわけではありません。誰かがそれをゲームと認識したら、それはその人にとってゲームです。とてもふわっとしています。このためランダム性も、タイミングを問われる必要もありません。

一本道のエロゲもメーカーがそれをゲームとして売り出したらゲームで、ゲームと認識して買ったなら客にとってもゲームです。売れればメーカーは幸せ。買ってプレイして楽しければ客も幸せ。そこに「これはゲームか」という問いが挟まる余地は全くありません。「これはゲームだ」「これはゲームではない」という結論に辿り着いたとして、誰の幸せにも繋がりません。虚無です。

たとえば法律では、言葉を定義していることがあります。「~とは、~であって、~であるものを言う」みたいな。それは法律がルールであり、ルールを運用するには線引きする必要があるためです。~だったら税率を変えるというルールを運用するために、シフォンケーキがケーキかどうかを決めなきゃいけません。必要だから仕方なく、その法律の中で便宜上線引きしているだけです。

けど私たちにとって、一本道のエロゲがゲームかってどうでもいいじゃないですか。それがゲームでなくてもヒロインが可愛かったら買うじゃないですか。ゲームでもエロくなかったら買わないじゃないですか。売れるか売れないか、楽しいか楽しくないか、それだけです。必要もないのに定義や線引きなんてしない方がいいです。不幸にしかなりません。