感想記事にネタバレはつきものです。

感想記事の冒頭に「ネタバレ注意」などという注意書きを目にすることがあります。ネタバレされると作品を楽しめなくなっちゃう人もいますしね。けどそれってわざわざ書かなきゃいけないことなのかな、とも思います。私は書いてません。

感想記事なので、作品に触れて感じたことが書かれています。そりゃもう当然に。ヒロインがかわいかったとかトリックが斬新だったとか。感想記事ってそういうものですね。なのでわざわざ「ネタバレ注意」などと書く必要はないんじゃないかと思います。

そもそも「感想」という言葉から危険を察知できない人類に「ネタバレ注意」という言葉が通じるとは考えづらいです。だって感想ですよ。ネタバレがあるに決まってるじゃないですか。「感想記事を書く人が全員ネタバレに配慮してくれると思ってた」ってあまりに頭の中お花畑すぎます。世の中は安全ではなく、どこにでも危険が潜んでいます。たとえ私が「ネタバレ注意」と書いて今回ネタバレ事故を防げたとしても、近い将来別の感想記事でネタバレ事故を起こすでしょう。

その場の相手を怒鳴り散らしても何も生み出しません。何せ相手が毎回違うんですから。私を怒鳴り散らして改心させたとして、それを事故る度にやるんですか。それ面倒な割に全くネタバレ事故を防げませんよね。

事故による不幸をなくしたいのなら、事故が発生した際に

  1. 今後も繰り返し発生しそうか
  2. 対策すれば防げるか
  3. 防げないなら、被害を小さくする対策はあるか

と考えるものです。今後も繰り返し発生しそうなのでどうにかしたい。けど毎回相手が違って怒鳴り散らしていても埒が明かない。そしたら「じゃあ感想記事を読むのをやめよう」とか「ネタバレされても楽しめるようになろう」とか、そういう方向に進んだ方が事故を未然に防げたり被害が小さくなったりで幸せに繋がりやすいですね。

 

「でもそんなのとりあえず書いとけばいいじゃん」という声もありそうですが、私が頑なに「ネタバレ注意」と書こうとしないのは、それが全ての読者を不幸にするためです。

「ネタバレ注意」と書くと、本文はその分下に押し出され、1画面で収まっていたかもしれない情報がはみ出しスクロールが必要になります。文字数が増えてしょうもない注意書きを読まされることにもなります。こうして記事を読む全ての人を少しずつ不幸にします。

それで札束が空から降ってくるなら、多くの人々の命が救えるなら、戦争がなくなるなら考えますけど、「ほとんどいない危険回避能力に致命的な障害を抱えている人が数分間軽微な事故を防げるかもしれないだけ」なら、そりゃ書きませんって。

事故が発生したときに「注意書きを追加して事故を防ごう」とか言っちゃう人って、注意書きの費用を一切考えないんですよね。それでベタベタ注意書きを貼りまくって逆に何に注意したらいいかわからなくなっちゃう。注意書きは考え無しにベタベタ貼りまくっても効果が出るような便利な道具ではありません。

そういうワケで私はこれからも「ネタバレ注意」などとは書かないと思います。

 

殺虫剤とかハエ叩きとか、そういうのでとりあえず対処するのはわかりますが、それはとりあえずなんですよね。効果は持続しません。「どうしたら部屋に入ってこなくなるか」とか「どうしたら虫を受け入れられるようになるか」とか、そういう方向で考えないと虫に悩まされ続ける人生になってしまいます。

言い聞かせられないという意味では、虫もネットの向こうの感想記事を書く人々も大差ありません。幸せに繋がらない繰り返しは排除していきましょう。