主人公に感情移入しにくい私たちの精神構造

物語を読むとき「第三者視点で主人公たちの行動を眺める」という人と「主人公になりきる」という人がいるんだそうです。でも主人公になりきるって難しくないですか。どうしても主人公って自分と違う思考をしちゃいますし…多分それは私たちの自我が強すぎるせいです。

こんなツイートを見掛けました。

そういえば感情移入して泣いちゃった、みたいな人いますね。私はないんですけど。何が違うのでしょう。

自我は「私ならこうする、こう思う」という意識です。主人公はこれを選んだけど、私ならあれを選ぶ。この自我が強いと、よほど運がよくないと主人公との思考が合いません。主人公の「これ」と私の「あれ」が合致しなければならず、奇跡的に当たることはあってもそう何度も当たりませんから、感情移入できません。

一方で自我が弱い人というのもいて、簡単に言えばこだわりのない人です。「じゃあ私もそうする~」みたいな人。彼らは強力な自我を持たないので、主人公が「ここであれを選ぶはずがないだろ!」などと強い調子で言えば「そういうものか~」とふわっと納得して合わせます。彼らは「これ」と「あれ」が合致しやすいので、感情移入しやすいです。

自我の強い人は第三者視点で主人公たちの行動を眺めるようになります。感情移入できないので。自我の弱い人は主人公になりきるようになります。主人公になりきればヒロインが自分を好いてくれることになり、よりエロゲを楽しめます。いいなぁ。

 

自我を強めるべきかどうかは目指すゴールによります。自我を強めると人生が芸術家ルートになり、大成功すればまだしもボロクソになる可能性も大いにあり、その上後戻りが困難なので。

私たち第三者視点は主人公たちの輪に溶け込めないから、当事者になれず第三者に追いやられたんです。主人公になりきれているなら、それはきっと幸せです。多分現実でもあなたの周りには多くはなくてもそれなりに友達とかそういう間柄の人々がいるでしょう。

自我が強くなると、よほど成功しない限り孤立します。成功しても、ファンしか集まってこなくてわかり合える人と巡り会えない、みたいな落とし穴にはまって精神病ルートもあり得ます。なので「自我が強いことはいいこと」とは言い難いです。

 

で、自我を強める方法ですが、インターネットで発信する側になるだけです。より正確に言えば作品を作っていれば、自我が強くなります。絵や曲に限らず、ツイートでもブログでもコメントでも、それら全部作品ですよ。

自我はイメージとしてはスライムみたいなものです。理科の授業で作りませんでしたか、あの形のないぶよぶよしたやつ。形がないので、なんだかよくわかりませんね。なのでそのままでは発信できません。発信するには、四角とか三角とか、形を作る必要があります。

スライムならどんな容器にも入りますが、四角く固まると丸い容器には入らなくなります。「四角」と認識できる代わりに丸い容器に入らなくなった。それが強くなった自我です。

発信するために自我の形を固めていくと、徐々に入る容器が減って生きづらくなります。誰と話しても話が噛み合わず衝突ばかり。芸術家ルートですね。上手くはまれば大成功しますがそれ以外は大惨事です。

ちなみに後戻りが困難な理由は「責任を抱える」ためです。人間は自分の言ったことに責任を感じる性質があります。「ロリが好き」と発言するまでは何でもよかったのに、発言するとロリコンになっちゃう。「だってお前ロリが好きって言ってたじゃねぇか」と責められないようにするためなのでしょう。周囲は一貫性を求めますしね。

 

逆に自我を強めたくなければ作品なんて作らず、インターネットは受信するものとして利用するようにしてください。当然日記帳とかもダメです。休日はお友達とカラオケやボーリングにでも行ってください。ですので軽い気持ちでブログやSNSなんて始めるべきではありません。やるならお友達との連絡用途にしましょう。

 

  • 自我が強いと感情移入できなくなり第三者視点でプレイするようになる
  • 自我が弱いと感情移入でき主人公になりきりプレイするようになる
  • 作品を作ると自我が強くなり、強い自我により面白い作品を作るようになる
  • ただし自我が強くなると人生の難易度が上がるので無闇に強化しない方がいい

こうして私がブログをやっているのも、実はとても危険な行為です。直接機械に巻き込まれたり大金を失ったりはしませんが、人と合わなくなり、衝突を繰り返しながら孤立していく可能性が大いにある、というか既に大分進行していて割とマズいです。そうならないようご注意ください。