「殴り合い以外は卑怯」とは一体何なのか

対戦カードゲームの経験のある方は「殴り合い以外は卑怯」という価値観の人々と遭遇した経験もあると思います。カード同士の殴り合いによって勝利を目指すべきだ、みたいな人々。あれ何なんでしょうね。

対戦カードゲームで特殊勝利デッキ(全力で特殊な勝利条件達成を目指す)やコントロールデッキ(敵の動きを制限して勝利を目指す)などを使っていると「卑怯だ」と怒られることがあります。ルールに従ってカードを組み合わせて戦っているのに卑怯ってどういうこと?

これは「言葉」という道具の欠点によるものです。言葉には「言った人と聞いた人で想像するモノがズレていても気付けない」という欠点があります。私たちと彼らでは「対戦カードゲーム」の意味が違うんですね。「卑怯」の意味も違います。そのせいで私たちは何かよくわからないままに彼らに「卑怯だ!」と怒られたわけです。

まず「卑怯」は、期待していたものが出てこなかった不満の言葉です。「ルール上の正しさ」は関係ありません。そう考えると何となくわかりませんか。

そして「対戦カードゲーム」は「カード同士の殴り合い」を意味します。「対戦カードゲームやろうぜ」は「カード同士の殴り合いをやろうぜ」です。だって彼らはそれしか知らないんですから。「カード同士の殴り合い」を期待していたんですから、そりゃあ特殊勝利やコントロールなんて卑怯ですね。日本語って難しい。

彼らは私たちほど「戦闘」について深く理解していません。私たちはほら、友達付き合いや社会常識などの真っ当に生きるための色々を犠牲にしながら趣味の世界に没頭してきましたよね。それによって「戦闘」についての理解を深めてきました。趣味の世界は「戦闘」が現実よりも発生しやすい世界です。

一方で「戦闘」がほとんどない現実世界を真っ当に生きてきた彼らの「対戦カードゲーム」は「カード同士の殴り合い」止まりです。そりゃそうですね。犠牲にしてきたモノの重みが違います(一見かっこよく言っているけど全くかっこよくない)。

 

スポーツはとても単純です。いいタイムを出したり、より多くの得点を取った方が勝ちです。基本的に他の勝ち方はありません。「カード同士の殴り合い」に通じるところがありますね。彼らは対戦カードゲームを「体を動かさないスポーツ」と認識しています。

たとえばマラソンは他の選手より先にゴールすれば勝ちです。コースに落とし穴を作ったり、他の選手に目潰ししたり、コース外から物が飛んできたりはしません。その単純さが彼らにも理解しやすいためにウケているんです。

「スポーツ」でもフィギュアスケートなどはちょっと特殊です。最終的には美しさを点数化して比較しますが、何をどうすると点数に繋がるのかがパッと見ではわかりません。そのせいで彼らは競技の様子を見ても「選手の容姿」や「失敗したかどうか」くらいしか理解できず、あまりウケません。

一方で相撲は本当に上手く設計されています。勝利条件が「相手が転ぶか外に出るかすると勝ち」と単純明快です。これだけ知っていれば初見でも理解できます。一発で即死して復活しないところも素敵。「転んでから3秒以内に立ち上がれば復活」は複雑すぎますから。

 

  • 私たちと彼らとでは「対戦カードゲーム」の意味が違う(彼らは「スポーツ」で、私たちは「殺し合い」)
  • 彼らの「卑怯」は「期待していた物が出てこなかった不満を表す言葉」であり「ルール上の正しさ」とは関係ない
  • スポーツの中でも、単純なスポーツはウケやすい

彼らを不気味に感じていたんですが、わかってしまえば何てことはありませんね。私がオタクで彼らは一般人。それだけでした。今後は「殴り合い以外卑怯」な人々に遭遇しても大丈夫です。もう対戦カードゲームはやってませんけど。