「元ネタのある表現」が苦手なオタクの話


エロゲには「元ネタのある表現」がよく出てきます。今回の「LZHロック」もその1つ。わかる人はわかってクスッとなり、わからない人でも何か元ネタがありそうだと気になるアレですが、皆様アレを楽しめてますか。私はダメです。

私は今回LZHロックの元ネタがわかった人です。賭けに勝った方。それでも楽しめたかというとそうでもありません。いえ、一瞬クスッとはなりましたけど。それでも元ネタのある表現はわからなかった人にとって気持ち悪い表現であり、今回の私はたまたま賭けに勝っただけです。運が悪ければ意味がわからず気持ち悪さを感じていたかもしれず、そのような表現はあまり気持ちのいいものではありません。

右側の人と左側の人が、自分を挟んで自分にはわからない話をしていたら気持ち悪くないですか。無性に居心地が悪くなりませんか。元ネタのある表現ってアレなんですよ。そしてそんな表現を「こんなの通じて当然でしょ?」みたいなノリで作品に盛り込む感性を気持ち悪く感じてしまい、もう何かダメです。

元ネタがあるということは、目の前の作品だけでなく、元ネタまで知らなければなりません。確実に理解できる人が減り、わかりづらく気持ち悪くなります。元ネタが自社の過去作でも、国民的人気を誇る有名人や人気アニメでも、これは絶対に避けられません。

一応これで失う顧客を補うほどわかった人を強烈に囲い込めるなら、それは損得勘定を合格していてアリです。私は想定顧客から外れていただけですから、残念ながらご縁がなかったということで。でもそこまでの威力があるようには思えません。苦手な私だからあまり威力を感じられないだけかもしれませんけど、どうでしょうこれ? エロゲって結局はヒロインがエロかわいくてシナリオがいいことが全てじゃないですか。

元ネタのある表現に遭遇する度にこうして引っ掛かって現実に引き戻されるので、そういう損得勘定を合格したのでなければ全部消えてなくなってほしいというのが本音です。