エロゲの布教に感動モノを使ってはいけない理由

エロゲオタクがよくやらかす失敗に「布教するときに感動モノをやらせる」というのがあります。涙の止まらない最高の感動モノをやらせれば、あいつもエロゲの良さをわかってくれるはずだ―と。多分それ悪手です。

たとえば寝取られ。恋人を他の男に奪われるシチュエーションです。これが万人ウケするものでないことはわかりますね。それで興奮する人もいるだろうけど俺はちょっと。一方で感動モノだと万人ウケすることが疑われません。感動モノで感動できない奴は人間じゃない―そんな勢いです。でも本当にそうなんですか。私にはそうは思えません。

そもそも感動モノがウケる方が不自然です。感動モノの登場キャラクターは基本的に全員精神病を患っているじゃないですか。言動が極端で一般人とかけ離れた行動原理を持ち、慣れていないと理解不能です。それがエロゲ的な感性・価値観を持たない「エロゲを布教される人」にウケるでしょうか。多分ウケないですね。無理矢理やらせても「エロゲってやっぱり理解不能でキモいわ」にしかなりません。

「最高の感動モノで魅了して一発でエロゲ沼に引きずり込む」という戦略がそもそもの間違いです。一発で致命的なほど「エロゲってやっぱりキモいわ」という印象が深まって終わるのがオチでしょう。

エロゲ布教の正しい順序は多分こんな感じ。

  1. 無難で楽しい作品でエロゲに対する恐怖を払拭する
  2. 数本の経験を経て「エロゲのある生活」を定着させる(エロゲをプレイしないと何となく寂しさを感じる程度になってもらう)
  3. 無難な作品に物足りなさを感じた本人が自力で感動モノや特殊性癖モノに辿り着く
  4. エロゲ沼にようこそ

実際上手くいくかはわかりませんけど、こちらの方が成功率は高そうじゃないですか。私たちも入門はドラえもんやアンパンマンであって、次が何でしょう。ポケモンやマリオですか。そこから徐々に慣れていってどこかで道を踏み外して今があるわけで、感動モノが最初の1本だったわけじゃありません。

彼らの「キモい」は「気持ち悪い」ではありません。「理解できない」です。エロゲ的な感性・価値観がないから理解できず、それを「キモい」と言っているだけです。それなのに「気持ち悪くないよ!やってみればわかるよ!」って、そりゃやってみても「やっぱりキモいじゃないか」にしかなりません。

感動するには、必要なモノが多すぎました。だからそれが揃っていない一般人が「キモい」と感じてしまったんでしたね。なので「楽しむために必要なモノが少ない作品」が布教に適しているということになります。候補は2つあります。

無難な学園ラブコメ

私たちはほぼ全員が学生経験者で学園という概念を理解しやすく、ヒロインの年齢も高すぎず低すぎない受け入れやすい年齢でまとまっています。

ヤンデレなどの頭おかしいヒロインはいない方がいいです。みんな仲良く主人公を好いていて、それでいてルートに入ると他のヒロインたちが争うことなく自然に丸く収まっていく、そういう作品が適しています。

無難な抜きゲー

男女共に人間で、女性側は美女か美少女、男性側は無個性なのがいいでしょう。道具は使わないか、使っても1つまでの、普通にエロくて抜けるやつがいいです。オークや触手が出てきちゃダメですし、女性が死んでもダメです。

これは「便利な道具」として受け入れられます。そこからエロゲ形式つまり紙芝居に慣れてもらってエロゲ沼に沈める流れ。性欲に根ざしているので、使えることさえ証明できれば割と受け入れてもらえます。

 

  • 感動モノも特殊性癖と同じで万人ウケするものではないため布教には適さない
  • 一般人の言う「キモい」は「気持ち悪い」ではなく「理解できない」
  • そのため一般人でも理解できる布教用エロゲが必要

感動モノをオススメして、相手の好みを直撃して一発でエロゲ沼に引きずり込めた―相手は大喜びするでしょうから、とても気持ちいいとは思います。ですが好みを直撃しない確率とそのときのダメージを考えると、得策とは思えません。成功の裏に多くの失敗があります。地道に、確実にやっていきましょう。