「好き」と「大好き」の程度の話

「ラーメンが好き」と言うと「毎食ラーメンがいい」と解釈する人いますよね。けど毎食ラーメンってキツいですよね。

そういう「好きだけど、そこまで好きじゃない」という微妙な立場の話です。

「好き」には「ふわっと好きなだけ」という程度があります。毎食ラーメンだとキツい程度の「好き」です。

「毎食ラーメンがいい」という方もいるでしょうが、大半はそうではありません。けどラーメンが嫌いなわけではないし、好きな食べ物を問われればラーメンと答える「ラーメン好き」です。微妙で曖昧で適当な立場ですね。けどこの程度が一般的な「好き」なんです。

「好き」は経済を回していく上で非常に大切な感情で、「好き」だからわざわざ店まで行って高い金を払って買ってくれたりするんです。これが「好きだと思っていたけど、冷静になってみたら別にそんなでもないな」になると「じゃあ家で安物のパン食ってりゃいいや」になってしまいます。不景気ですね。

冷静になってそんなに好きでもないことに気付いちゃったら不景気になるんです。このため人々の「ふわっとした好き」は大切にしなきゃいけません。「ふわっとした好き」を壊さないために、「「好き」の程度を試さない」という配慮が必要です。

「ふわっとした好き」でしかない人々にとって、「好き」とはその程度のものを指します。自分が「ふわっとした好き」でしかないという発想はありません。「好き/好きでない」の2つしか認識できないので、「好き」の程度を試して失敗すると「あぁ別に好きじゃなかったんだ」という結論に至ってしまいます。「毎食ラーメン」はラーメンが大好きでないと耐えられませんね。1週間でギブアップしたら「所詮その程度だったんだ」になってしまいます。

一般人の意志はそんなに強くありません。大多数は起業や告白さえしないんですよ。「あ、じゃあいいです」が普通です。このため「好き」の程度を試すと高確率で失敗し、その人の「ふわっとした好き」を破壊して不景気にしてしまいます。やめましょう。強かろうが弱かろうが全部「好き」でいいじゃないですか。

 

そもそも「毎食ラーメン」みたいな「同じことを続けさせるテスト」は「好き」の程度を試すテストとして不適切です。人間は飽きる生き物なので。生き延びるために飽きてるんですよ。むしろ「毎日ラーメンでいい」という人は「飽きる機能に障害がある」と言えます。

「飽きる」は食事においては栄養の偏りを解消して長生きできるようにします。飽きないと毎食ラーメンをやらかして栄養が偏って死んでしまいます。人間は基本的に複数の作業を切り替えながら進めて生きる生き物なので、生活においても飽きないと詰みます。「子育て」「食事の用意」「掃除」を1人でやらなきゃいけないのに掃除ばかり続けていたら、ってオタクがよくやらかすアレですね。オタクは飽きる機能に障害を抱えているのでよくこれで詰みます。

「同じことを続けさせるテスト」は「飽きる機能に障害があるかどうかのテスト」にしかならないです。やめましょう。

 

  • 「好き」と「好きでない」の間に「ふわっとした好き」という程度がある
  • 世間一般で言う「好き」は実は「ふわっとした好き」
  • そんなに強くない「好き」なので、試すと簡単に壊れる
  • でも「ふわっとした好き」も「好き」なので、動機としては十分使えて、経済を回すのに役立っている
  • だから無闇に好きの程度を試して破壊して回ると不景気になる

一般人は何となく入学して何となく卒業して、何となく就職して何となく結婚して、何となく子供を作って何となく退職しています。大体何となく、そんなに強い意志によらずに行動しています。そこに「お前何となくでやってんじゃねぇよ」と殴り込んだら、そりゃ平和な村にオークが襲ってきたようなものです。萎縮してしまいます。やめましょう。